2021-05-14 第204回国会 衆議院 文部科学委員会 第14号
おっしゃっていることはよく分かるんですけれども、その考えでいうと、例えば、じゃ、音楽学校をどうするんだ、コロナで学生たちが来られないじゃないか、株式会社でやっている、いわゆる私塾みたいなものも中にはありますし、あるいはスポーツクラブはどうするんだということにもなりますので、文科省だけで決断ができない部分もありますので、問題意識を共有しながら、政府全体として、何らかの支援を講じていかなきゃならないと思
おっしゃっていることはよく分かるんですけれども、その考えでいうと、例えば、じゃ、音楽学校をどうするんだ、コロナで学生たちが来られないじゃないか、株式会社でやっている、いわゆる私塾みたいなものも中にはありますし、あるいはスポーツクラブはどうするんだということにもなりますので、文科省だけで決断ができない部分もありますので、問題意識を共有しながら、政府全体として、何らかの支援を講じていかなきゃならないと思
そうすると、権利者が、いや私のところはもう一切教育に関わるやつは要りませんと、だから、そういう権利者の歌とかそういうものを積極的に音楽学校とか教室だとかそういうもので使うようにすることによって、こういうのは発生しなくなると。
、ロサンゼルスの株式会社イー・エス・ピーという会社なんですが、これは音楽好きの方なら御存じかなと思うんですけれども、ギターなどを作っているイー・エス・ピーという会社でして、こちらもホームページ見させていただいたんですが、創業は四十年で非常に歴史のある会社なんですが、三つの大きな事業があって、楽器事業、ギターですね、音楽事業、アーティストなどを抱えているわけですね、教育事業ということで、これは主に音楽学校
それが、ここはもう音楽のエリアであると、音楽学校があって、オーケストラのすごいコンサートホールがあって、音楽家が世界から集まっているところをつくって、そこにバイオリンの専門の店がぽんとあれば売れるわけですよ。 そういう、商業あるいはそこに一か所に集まることによって特色ある町が環境の呼び水になったり、あるいは才能のるつぼになって何か新しいものを生み出していく。
○国務大臣(小坂憲次君) ただいま委員が御指摘になりました国立大学法人東京芸術大学でございますけれども、明治二十年に東京美術学校、東京音楽学校として設立をされ、そして昭和二十四年に東京芸術大学、このようになって、平成十六年、国立大学法人というふうな歩みをしてきているわけでございまして、その歩みの経過から音楽と美術を中心としているわけでございまして、かつては舞踊などの舞台芸術分野について舞台運営や演出技術
道徳というと非常に古いように思われる方がいるかもしれませんけれども、私がおりました宝塚というところは、そういう意味ではある種道徳の塊みたいな学校でございまして、一年上の方が音楽学校へ入って言うことは、カラスが白いと言ってもそうであるというぐらいの厳しさがありまして、これはちょっと例えですけれども。もちろん普通の学科もあります、音楽学校のときは。
できれば、先生がおっしゃるように、そういった環境が日本の国内の場合は余り整っておりませんけれども、考えて、隣にいらっしゃる但馬先生も寮生活を宝塚の音楽学校でされていたと思いますけれども、そうしたさまざまな形での公立学校、私立学校、まず私立学校だと思いますけれども、教育施設の拡充といいますか、そういったものを日本の場合もこれから広く取り入れていくことを検討すべきだなというふうに考えております。
そして、宝塚へ入りまして初めて音楽学校で壇上に国旗が掲揚され、そして国歌を歌って、何か少し面映ゆいような気持ちでおりました。 しかし、だれからも国旗や国歌についての定義と申しましょうか、教えは多分受けなかったように思います。
彼女は若いとき音楽学校を出まして、中年過ぎまで、幼いたくさんの子供にピアノを教えておりました。したがって、彼女のその行為の意味と理由など自分から一言も言ったことはありませんでした。私も尋ねませんでした。 しかし、あるときふと、これは弟のことが忘れられないのだということに私は気づかされました。戦死をして、骨も帰ってこない。あるときふと言いました。道というんですが、道ちゃんは海の中にいる。
御存じだと思いますが、彼女は日本で生まれ、そして育ち、日本の音楽学校を卒業なさったピアニストです。一九八一年に指紋押捺を拒否したために再入国許可がおりなかったわけです。それで予定していたカナダへの演奏旅行はしなかった。しかし、また今度一九八六年には、アメリカの大学にマスターコースの留学が決まって、このときは音楽家としての将来を断念することはできずに再入国の不許可処分のまま渡米したわけです。
ちなみに、宝塚音楽学校というところは非常に厳しい世界でございまして、一年上級生がカラスが白いと言っても、白いんだという軍隊のような厳しさでございます。身も心もやわらかいうちにもちろん厳しくしなければいけない。ただ、私が今重荷と言ったことは、私たちの時代の学習指導要領の内容よりもさらに重くなっているといった意味で、知識だけが私は教育だと思わないということでございます。
最後の質問なんですけれども、これも何か非常に単純な疑問で、私は子供の教育に非常に関心を持っていまして、私自身も子供のための音楽学校というのをもう十何年もやっておりまして、子供の歌ももう約二百曲ばかり作曲して音楽の教科書にも十曲ぐらい載っかっておりますが、最近ちょっとした本で読んだんですけれども、通産省で何か学習塾のために社団法人をおつくりになったという記事を読ましていただいたんですけれども、何か通産省
ですから、音楽学校の先生をやったり歌の指導をやったりして、いわゆるゴルフでいえばレッスンプロで食っている。これが日本のオペラ界の実情だ。これで文化国家として日本がこれから羽ばたいていけるのだろうか。ベートーベンだってモーツァルトだって宮廷音楽家でしょう。王様が雇ってやったのでしょう。
○竹下国務大臣 音楽学校の学生さんとか生徒さん、これが奢侈品じゃなくて、言うならば学習用具だ、そういう範囲の中へインクルードされるものはそういう形で対象になるものと私は思っておりますが、今も申し上げておりましたが、元来、物税というものは個人個人のその事情によってそれが対応されるものではない。
ところが、例えば音楽学校に行っておられる方あるいは専門家の方がピアノをお弾きになりますと、これは相当な音になってまいりまして、隣にいますと相当うるさいという感じになる、そんなレベルでございます。
そうすると、これは私の経験から見ましても、本当の専門家がこれは一時間みっしり努力するのですから、大学でノートブックへ毎年同じ講義を持ってきて——これは失礼なことを言うようですが、そういうことを聞きましたが、それでノートのとおりに講義するということよりも、音楽学校で歌を教えたりピアノを教えるというのはこれは肉体的な非常な努力なんですね、生徒一人・教官一人というやり方ですから。
私は、実は東京の上野にある音楽学校を卒業した者です。もう私の卒業したのは大正十二年で、いまから五十年も前の話なのですね。私もこの間見に行ってびっくりしたんです、余りにも技術が進歩しているので。そこで、私はそこの学部長に会って話を聞いたんです。きょうはお見えにならぬが、安西委員も私と同窓なんです。
同時に、イギリスの場合にはアドバイザリーコミッティーと申しますか諮問委員会的な機能を果たす委員会が、NHKの場合には一般的な番組審議会と教育番組審議会と二つございますけれども、幾つかの一般的な番組審議会のほかに地域諮問委員会、先ほど申し上げたような、地域の放送をどうするかということについて、経営委員会なり局長の諮問に答えるという地域諮問委員会というのもありますし、そのほか宗教、音楽、学校放送、科学その
現在、御案内のように特に陸においてその傾向が強いわけでございますが、有事所要を基本としながらも、平時の実際の実員充足のあり方は、たとえば音楽学校とかあるいは地連であるとか、業務隊であるとか、こういったところへ圧倒的に人数が集約されている。
私は、いまの芸大、音楽学校を卒業したわけでございますが、私のクラスは男女五十名ぐらいの生徒でございまして、戦争がだんだんたけなわになりましたときに、学徒出陣というのがその年に起きまして、私の音楽学校の時代は、四年勉強したものですが、私の場合は、三年半で繰り上げ卒業になったわけです。そして男の生徒たちは軍隊に入った。学徒出陣の第一陣でございました。
大変飛躍した言い方でございましたけれども、音楽学校でピアノを使うのにピアノの一時間使用料が三百円だと、この値段を積み重ねていったことは、いまの生活、インフレの中の生活環境で、一人ずつの学生がこの経済の中で学校へ入りにくいという問題を大臣に申し上げながら、どううぞ、あらゆる若者、学生たちが経済に苦しまないで学問ができるようにしていただきたいというのが二月の私のお願いでございました。